2006年5月24日
「である」調のテープ起こし? 1
たまに変なオーダーが来ます。
全文起こしで、「である」調にしてくれというものです。
お客さんは要約を求めているわけではありません。「とにかく全文は起こしてほしいが、「~ございます」とか「~やったりとかしているわけであります」とかという長ったらしい文末は、『である』で丸めていいから」ということだ、と思います。
実際にやってみます。
皆さん、こんにちは。
今日は暑いですね。
私もこの暑さにばてていますが、頑張ります。
それでは、今日の議題ですが、公園清掃についてです。
タナカさん、よろしくお願いします。
あっ、タナカさんはちょっと今日は遅れていて、まだ到着していないよう
なので、来るとは言っていたんですけれども、2番の議題を最初にやった
ほうがいいような気もしますが、そういえば2番については資料の不備が
あったそうですが、その辺、先に事務局お願いします。
「である」調に、力づくで変換します。
皆さん、こんにちは。
今日は暑いのである。
私もこの暑さにばてているが、頑張るのである。
それでは、今日の議題だが、公園清掃についてである。
タナカさん、よろしくお願いするのである。
タナカさんは少し今日は遅れており、まだ到着していないようなので、
来るとは言っていたが、2番の議題を最初にやったほうがいいような気も
するが、そういえば2番については資料の不備があったそうだが、その辺
を先に事務局お願いする。
まず、緑色のところ。
一人称と三人称が主語の文は、なんとか「である」調にできるけれど、二人称の文はできないみたいなんですよ。「である」って断定する言葉でしょう。二人称が主語で、断定する意味の文章はほとんどないからだと思います。
ところが話し言葉って相手に話しかける言葉が多いんです。あったり前ですね。話し言葉なんですから。
文章が全部尻上がりになる若者言葉がありますが、あれなんか絶対「である」調にできません。
元気~?
いま何してるの~?
アタシ~?
アタシってネイル好きな人じゃない~?
……知りませんよ、あなたの趣味なんて。
それから、青の部分。
話し言葉特有のすっきりしない文章ですが、そのまま文末だけ硬い言葉に置き換えると奇妙な違和感があります。
お客さんが考えていらっしゃるほど、「文末だけ『である』にしてくれればいいから」という作業が簡単でないことがわかります。
「である」調のテープ起こし? 2
昨日のリライト例の
頑張ります → 頑張るのである
に、コメントをいただきました~。ありがとうございます。
「『である』調にしろ」と言われても、全部が全部、最後を「である」にするこたあないです。
「である」調に相対する書き方に、「です・ます」調というのがありますね。
この丁寧な、あるいは会話風な書き方は、「です」と「ます」と、二つも文末の表現が出ていますが、だからといって全文が「です」と「ます」に収まるわけではありません。「です」にも「ます」にもつながらない文はあります。
まして、全文を「である」で終わらせるなんて無理です。
いろいろなパターンがあって、すっきり類型化できない気がしますが、代表的な書き換えパターンを考えてみました。
(考えていたら、こんがらがっちゃいましたよ)
「です」は、名詞から接続する。これは、「だ」「である」に置き換えられる。
公園清掃です → 公園清掃だ/である
「ます」は、動詞から接続する。これは、動詞の連体形で終わらせる。
頑張ります → 頑張る
いただいたコメントでは、「『頑張るのである』とはしないで、『頑張りたい』にする」とありました。すっ、素晴らし~。
「『である』調にしてくれ」という依頼が、「話し言葉のまどろっこしい文末は簡潔にしてほしい」という意味だとすると、
頑張ります → 頑張るのである
じゃあ、全然短くなってないしね(笑)。
たとえお客さんが、「『である』調にしてくれ」と言っても、
「読んでちょっと変な感じがしても、麗しい文章が欲しいわけじゃないし、記録が残ればいいんだから、文末は全部『である』でいいから」と言っても、
無理に、なにがなんでも「である」にしようと気張ってはいけないのですよ。
だいたい「である」調という表現が無用な混乱を招くんじゃないの? とか、怒りの矛先を変えてみたくもなってきます。
続きますよ~。
「である」調のテープ起こし? 3
昨日は、「である」調という表現が無用な混乱を招くのではないか、というところで終わりました。
「である」調といっても、文末を全部「である」にするわけじゃない、というのはわかっている。簡潔な文章にすればいいんでしょ?という声が聞こえてきそうですね。
でも、簡潔にできない文があります。前にも書きましたが、話し掛ける文です。ここでは「二人称の文」と呼び、二人称の文を一人称か三人称に変えてしまう書き換えに挑戦してみます。
《例文》
皆さん、こんにちは。
今日は暑いですね。
私もこの暑さにばてていますが、頑張ります。
それでは、今日の議題ですが、公園清掃についてです。
タナカさん、よろしくお願いします。
あっ、タナカさんはちょっと今日は遅れていて、まだ到着していないよう
なので、来るとは言っていたんですけれども、2番の議題を最初にやった
ほうがいいような気もしますが、そういえば2番については資料の不備が
あったそうですが、その辺、先に事務局お願いします。
書き換え例1 一人称あるいは独白風
今日は暑い。
この暑さにばてているが、頑張ろう。
今日の議題は公園清掃についてだ。
これはタナカさんに説明してもらう予定だったが、
彼は遅れていて、まだ到着していない。
出席する予定と聞いているので、
2番の議題を最初に進めることにする。
2番の資料には不備があるので、事務局に説明してもらおう。
書き換え例2 三人称あるいは観察風
座長から、暑さにばてているが頑張りたいとの挨拶があった。
今日の議題は、公園清掃についてだ。
説明はタナカさんが行う。
タナカさんは遅れていて到着がまだだが、出席する予定なので、
2番の議題を最初にやることになった。
2番については資料の不備があるそうなので、
先に事務局から訂正があった。
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細かいところ突っ込まないでくださいね~。
(いえいえ、やっぱりなんでも突っ込んでいいです~)
このやり方がどうかということは別にして、やっぱり一人称か三人称にしてしまえば、大部分を簡潔な文章に書き換えられます。
……と言っていいのかなあ?
「である」調のテープ起こし? 4
一人称と三人称の言い換えにチャレンジしてみました。無理やりだったけど、ちょっと楽しいですね。
これについては、あとの話とつながる予定です。
実は、無理やりじゃないほうのテクニックで頻繁に使われるのは、「文単位でカットする」と「言い換え」です。
どの文をカットしてよいのか、という法則みたいなものは説明しづらいのですが、「である」で言い切れるスタイルの、事実として断定できる文が残り、そうでない文はむしろカットしたほうがわかりやすいということのようです。
実際に「である」調を依頼するお客さんは、何を求めていらっしゃるんでしょうか。(今回いじくっている例文は、実際のオーダーではありません。私がこの記事のために勝手につくった文ですので、お客さんは想定していません)
考えられる一つは、前回の「三人称あるいは観察風」です。話している内容を、
どうなった。
こうした。
ああなった。
という事実で紡いでいくのです。
目的は、会議録が多いでしょうか。会議の場で話し合われたことを一通り記録として残す必要はあるが、一言一句丁寧に残す必要はない場合。
調査のための聞き取りでも、需要があるかもしれませんね。
録音しないで、その場でメモをとって作成する、普通の議事録のイメージに近いです。
Aさんが、「~」と提案した。
Bさんが反対した。
Cさんが、代替案を出した。
多数決でAさんの意見が通った。
こういう議事録では、話し掛けている二人称的な文は残しません。
「やあ、皆さん、こんにちは」
「では、この資料を配ってください」
「終わらなかったねえ。明日も集まれるんだっけ?」
断定された事実ではないからでしょうか。
決まる過程、決まったことを残せばよい議事録では、カットしても全く問題がないんですね。
実際にやってみると明らかです。
前回まきこさんがコメント欄で作成してくださった文※は、ごっそり削ってありましたが、読みやすかったでしょう?
(※ 「今日の議題は公園清掃についてだ。説明予定者のタナカさんが遅れているため、2番の議題を最初に進めることとする。資料に不備があるため、事務局よりご説明する。」)
「全文起こしで、文末だけ「である」調に」という(架空の)オーダーに忠実に、文そのものはカットしないように書き換え例を作成してきましたが、「なんか変」「笑っちゃう」という違和感たっぷりの文になってしまいました。
「である」調のオーダーを受けた方なら、絶対一度は、
「ありがとう」とか「こんにちは」って、「である」調ではなんて言うんだろ?
って考えたことありますよね。
それを無茶に書き換えるよりは、カットしたほうが読みやすくなります。
しかし、幾つか文そのものを削ってしまうというのに、それは「全文起こし」でしょうかねえ。
「とりあえず言ったことは全部残してほしいんだけど、文末は簡単に丸めてしまっていいから」と言われると、なんだか手軽なオーダーのような気がしますが、厳密に言うと、そういう処理は不可能なんです。
文脈を理解して、文章を整える。不必要な文は削除していく。
これは、私は要約の範疇に入る作業だと思います。全文起こしの延長にある作業とは違うんですね。
いえいえ、「全文起こしで、文末だけ「である」調に」というお客さんが実際にいらっしゃるかどうかは存じません。「要らないところはカットしちゃっていいからね」ということになっているオーダーもたくさんあるでしょう。
これは、お客さんを非難するという話ではありません。念のため。
さて、「である」調のテープ起こし原稿は、要約である!
とするならば、もっと大胆な「言い換え」について、突っ込んで考えてみたいと思います。
「である」調のテープ起こし? 5
友人から、日本語研究の論文コピーが届きました。
これ見て勉強しろって? ありがたや~
んで、まだ読む時間がとれませんが、読んだら急に違うこと言っちゃったりして(笑)。
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今日はリライト関係について書こうと思っているんですが、最初の例文に、だらだらとしまりのない文がありましたよね。
あっ、タナカさんはちょっと今日は遅れていて、まだ到着していないよう
なので、来るとは言っていたんですけれども、2番の議題を最初にやった
ほうがいいような気もしますが、そういえば2番については資料の不備が
あったそうですが、その辺、先に事務局お願いします。
「「である」調で簡潔な文章に」という依頼があったら、文末だけ直すのではなく、文全体の交通整理してあげないと、簡潔になりません。例えば
タナカさんは今日は少し遅れています。
まだ到着していませんが、来るとは言っていました。
先に、2番の議題を最初にやったほうがいいような気がします。
そういえば2番については資料の不備があるそうです。
先に事務局お願いします。
いったん、こういう整理をやって(実際に文章にするか、頭の中でやるかは好みの問題)、その後に「である」調まで持っていきます。
タナカさんは今日は少し遅れている。
まだ到着していないが、来るとは言っていた。
先に、2番の議題を最初にやったほうがいいような気がする。
そういえば2番については資料の不備があるそうだ。
先に事務局お願いする。
こんなもんでいいかな? (ちなみに、こういう文は嫌いですけど)
「「である」調で簡潔な文章に」という指示があったら、もれなく話し言葉のもつれをリライトすることも含まれてくるということですね。
もっとやっかいな例文を作成してみます。
地域の人たちとの体験は、小学校の6年生の男女に保健師さん、
助産師さん、青少年指導委員がかかわりまして、いろいろな体
験をさせて、薬物の危険性の話だけすると、学校も「まだ……」
とか、いろいろな意見がありますので、命の大切さから教育、
自分たちがお父さん、お母さんになるにはどうしたらいいかとか、
優しい気持ちを持って人に触れ合うこととか、優しい気持ちを取
り戻すことや、人との触れ合いという、2時間ぐらいかかりますが、
やり出すと子どもたちが変わっていくのが見えるんです。
こういうの、話し言葉にはよくありますよ。見事に文末がありません。
私はこういうのを「断定回避型話し言葉」とか「地滑り型話し言葉」とか言っていますが(ウソウソ、今つくった)、これに文末を入れてみますね。
地域の人たちとの体験は、小学校の6年生の男女に保健師さん、
助産師さん、青少年指導委員がかかわりまして、いろいろな体
験をさせて[います]。
薬物の危険性の話だけすると、学校も「まだ……」とか、いろ
いろな意見がありますので、命の大切さから教育[をします]。
自分たちがお父さん、お母さんになるにはどうしたらいいかとか、
優しい気持ちを持って人に触れ合うこととか、
優しい気持ちを取り戻すことや、人との触れ合いという
[ことを話しています]。
2時間ぐらいかかりますが、やり出すと子どもたちが変わっていく
のが見えるんです。
ほら、文末を挿入したら、とりあえず意味としてはつながりましたね。
ここまでできれば、これを「「である」調で簡潔な文章に」することは可能です。(ちなみに、こういう文は嫌いですけど)
地域の人たちとの体験は、小学校6年生の男女に保健師、助産師、
青少年指導委員がかかわり、いろいろな体験をさせている。
薬物の危険性の話だけすると、学校も「まだ……」とか、いろ
いろな意見があるので、命の大切さから教育をしている。
自分たちが父親、母親になるにはどうしたらいいか、
優しい気持ちを持って人に触れ合うこと、優しい気持ちを取
り戻すことや、人との触れ合いということを話している。
2時間ぐらいかかるが、やり出すと子どもたちが変わっていく
のが見える。
ただし、本人が発言していない言葉を書き加えてよいかというのはテープ起こしには重要で、そのクライアントとコンセンサスを得ておかなければならない問題です。
「「である」調で簡潔な文章に」という指示を出したクライアントが、原発言の書き換え、発言していない言葉の付け足しを前提に話しているかは、最初に確認しておかなければならないことです。
「いやいや、テープ起こしなんだから、勝手に変えてもらっちゃ困るんだよ」というクライアントさんはきっといますよね。
一方、「意味を改ざんしなければいいから、読みやすくきれいにまとめちゃって」というクライアントさんもいるでしょう。というか、「「である」調で簡潔な文章に」との依頼を出す方は、全員そうであってほしいのです。
しかし、読みやすくきれいに、つまりリライトとなってくると仕上がりはさまざまで、「意味さえ改ざんしなければ、何でもあり」ならば、次のような大胆なリライトも可能になります。
自分たちがお父さん、お母さんになるにはどうしたらいいかとか、
優しい気持ちを持って人に触れ合うこととか[を一緒に考える時
間にします]。
人との触れ合い[の中で]、[だんだん子供たちが]優しい気持ち
を取り戻[していきます]。
これはやりすぎではありますが、もともと原発言が「断定回避型話し言葉」で、論旨がゆるいせいです。こういう文はいかようにもリライトできてしまう。このぐらい強めのリライトをすると、するっと読めるようになります。前後を通して読んでみてください。
リライトをすると、多かれ少なかれ意味の改ざんが行われてしまいます。「改ざん」と言ってしまうと過激ですが、テープ起こし者の文脈の理解度によって、文章のニュアンスが変わってくるわけですね。
私は、これは当たり前のことだと思っています。同じ授業を聞いても、生徒のノートは全部違うものができますよね。それと同じです。
「言葉の言い換え、付け足しもしていいから、意味は変えないで、読みやすくきれいにまとめて」というのも、結構大変な作業なのがわかってきました。とほほ
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こんなことを書いていると、「である」調を依頼するお客さんがいなくなっちゃうんじゃないかと思いますが、私はテープ起こしを依頼したいのなら、「である」調自体がよろしくないんじゃないかと思っています。
だって、二人称の文は削除でしょ?
言葉の言い換えはありでしょ?
話していない言葉も付け加えちゃうんでしょ?
お客さんに、「記録として全文を残しておきたい」というお気持ちがあるなら、「である」調はお勧めできません。
この手の依頼が必要なのは、「話し言葉を簡潔にして、意味が通るような要約原稿にしてほしい」という場合だと思います。
要約原稿ならば、要約のできる人に依頼しなければなりません。「こいつ、話の内容わかってんのか?」というのではお話になりません。
そして、できれば文章の解釈が自分と似ている人がいいんだろうと思います。「こういうふうに要約するのは、自分は好きじゃないなあ」と感じる原稿は、自分とは相性が悪いんです。
テープ起こしって、誰に頼んでも、だいたい同じものが仕上がってくると考えるお客さんは、結構多いのではないかと思います。でも、初めての依頼で「である」調を依頼するのは、一種のギャンブルに近いかもしれません。
「である」調のテープ起こし? 6
「である」調の原稿は要約である、という前提で進みます。
まだ書くつもりなのかい(笑)。ええ、まだ続きます。
そもそも「である」調って何だいな?というところがあやふやですよね。
文末を全部「だ」「である」にすることではない、というのはすぐわかります。
断定する文章?
固い文章?
話し掛けない文章?
すっきり説明できる、適当な言葉が見当たらないのです。
消去法的に、「である」調という表現が生き残っているような気がします。
「口語ではない文章」なんてどうでしょう? 結構しっくりくるような気がしますが、否定形で説明されるとわかりにくいですね。
そこで、微妙に違うような気もしますが、「口語ではない」=「書き言葉」と言ってみたいと思います。
そう、「である」調は書き言葉であると考えると、わかりやすいことがあるんです。
書き言葉に似合う表現をするためには、文末の処理だけでなく、途中の単語も口語的な表現を書き言葉に置き換えたほうがすっきりします。
いろんな → いろいろな
とか → など or や
やっぱり → やはり
この手の口語的崩れを書き言葉に直すだけではなく、昨日の例文で、
保健師さん → 保健師
助産師さん → 助産師
お父さん → 父親
お母さん → 母親
と置き換えてあったことにお気づきでしょうか。
でも、ほぼ同じ意味で書き言葉があればいいですが、適当な言葉がないと困りますよね。
お巡りさん → お巡り
じゃーなくて(笑)、
お巡りさん → 警察官 or 警官 or 巡査
ですかね。うーん、どれもちょっとニュアンスが違う。「巡査長」なんてのもありますが、できるだけニュアンスを変えない書き言葉をいかにたくさん知っているかの勝負になります。
語彙力がないと、「である」調の文章は書けないのです。
「である」調のテープ起こし? 7
「である」調の原稿は要約である、という前提で進みます。
「である」調とは書き言葉である、という前提も加わりました。
最初の例文をもう一度書いておきますね。
皆さん、こんにちは。
今日は暑いですね。
私もこの暑さにばてていますが、頑張ります。
それでは、今日の議題ですが、公園清掃についてです。
タナカさん、よろしくお願いします。
あっ、タナカさんはちょっと今日は遅れていて、まだ到着していないよう
なので、来るとは言っていたんですけれども、2番の議題を最初にやった
ほうがいいような気もしますが、そういえば2番については資料の不備が
あったそうですが、その辺、先に事務局お願いします。
書き言葉にすると、人に話し掛ける文章はうまく変換できません。
ここで問題になるのは、
皆さん、こんにちは。
今日は暑いですね。
タナカさん、よろしくお願いします。
事務局お願いします。
です。(ほとんど全部だな)
視点を一人称か三人称に変えると、これを書き言葉に直すことができます。
具体的にやってみます。
まず、一人称で。
皆さん、こんにちは。 → 私は、参加者にあいさつした。
今日は暑いですね。 → 私は、今日は暑いと感じている。
タナカさん、よろしくお願いします。 → 私は、タナカさんに説明するよう依頼した。
事務局お願いします。 → 私は、事務局に説明するよう依頼した。
次に、三人称で。
皆さん、こんにちは。 → 座長が、参加者にあいさつした。
今日は暑いですね。 → 今日は、暑い。
タナカさん、よろしくお願いします。 → タナカさんは、説明するよう依頼された。
事務局お願いします。 → 事務局は、説明するよう依頼された。
ここでは「お願いします」を「依頼した」に変換していますが、「促した」「指示した」「指名した」などでも合いますね。どの変換がその文脈にふさわしいかは、テープ起こし者の判断にかかっています。
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よく「「である」調の書き換えの見本を見て、笑ってしまった」という話があります。(そういえば、コメントでもいただきましたね)
話し言葉を単純に「である」調に変換すると、奇妙な日本語が出来上がります。ネイティブの日本語スピーカーが、直感的に「おかしい(strange)」「おかしい(laughable)」と感じる、その感覚こそが正しいと私は思います。
例えば、「タナカさん、よろしくお願いする」がよい例だと思います。この日本語はおかしいと思います。
普通、日本語では、「タナカさん、よろしくお願いします」と、「します」にしかつながらない文章です。
そもそもそんな言い方をしないから、「おかしい」と感じるのですが、意味から考えても、「タナカさんが、(誰か/何かに)よろしくお願いしている」ととれる文章になっています。
これを意味が通る文章にするには、主体を変えなければいけない。「誰が」の部分を変更するのです。そして、主体が変わるのですから、述部も変わってきます。
視点を変えて、表現する単語も変える。その変換で使われるのは、「依頼」「促す」「指示」「指名」などの書き言葉です。
これで、「要約」「書き言葉」という前提につながったでしょうか。
次は、視点の問題。
「である」調のテープ起こし? 8
この話もそろそろ終わりにします。
いやー、長かった。まさかこの話題でこんなに引っ張るとは思いませんでした。読者の方にも引かれまくっていたような気配がいたします。グルグルぐじぐじ、本当に失礼しました。
では、しつこいですが、例文をもう一度。
皆さん、こんにちは。
今日は暑いですね。
私もこの暑さにばてていますが、頑張ります。
それでは、今日の議題ですが、公園清掃についてです。
タナカさん、よろしくお願いします。
あっ、タナカさんはちょっと今日は遅れていて、まだ到着していないよう
なので、来るとは言っていたんですけれども、2番の議題を最初にやった
ほうがいいような気もしますが、そういえば2番については資料の不備が
あったそうですが、その辺、先に事務局お願いします。
最後に、自分で「である」調に直してみます。
これはブログのために適当に考えた文で、クライアントも使用目的も想定していませんから、そのおつもりでお読みくださいませ。
暑い中、会議に参加いただき感謝している。
1番目の話題は公園清掃についてである。
説明者はタナカさんだが、まだ到着していないので、
2番の議題を先に行うことにする。
2番の資料には不備があるので、事務局から訂正がある。
えーっと、こんな感じですが、いかがでしょうか。まるっきり原発言を生かしていないリライトになっています。
これを「テープ起こし」と言うのか、「リライト」と言うのか、「整文」と言うのか、「要約」と言うか、わかりません。
呼び名なんか何でもいいと思っていますが、話し言葉を「である」調にするには、このぐらい意味を重視して文章を再構築したいと思っています。
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前回、「要約」という言葉を使いましたが、これについて、次のようなご意見を複数いただきました。
「要約」とは全体のボリュームを減らすことだと思うので、
「である」調で簡潔に整理しただけでほとんどボリュームが同じものを
「要約」と表現するのはどうか。
それはもっともなご意見だと思います。
私もお客さんに向かって、「『である』調って要約なんですよ」という言い方はしません。
これに関係なく、普段からお客さんと、文章の完成度について、「リライト」「素起こし」などの表現はほとんど話したことがありませんけれど。
わざわざブログで「要約」という言葉を使ったのは、私がやろうとしている、原発言から違う文章を再構築する作業は、「要約」と表現するとわかりやすいと考えたからです。それが一つ。
もう一つは、料金と納期の話に絡みます。
こういう作業をするとなると、発言どおりの原稿とは全く別物になります。新たに別な原稿を作成するには、それなりの納期とそれに見合う料金が必要になってきます。少なくとも納期のほうは、短期間では対応できません。
5割、3割という少ない分量まで圧縮する要約と同じ工程とはいいませんが、発言どおりの原稿作成とは別メニューの納期と料金設定は必要だと思います。
これでホントに「である」調の話は終わり。